パラリンピックの開会式を見る機会があったので見てみたんですけど、モヤっとしたし怒りも湧いてきましたしうんざりしたのでそれを書きます。
開会式の演出やテーマは良かったですよ。
私が観劇したことのある舞台の演出をやられてる方が手がけたそうですごく良かったです。
私がモヤっとしたのはそこじゃない。
なんで開会式にLGBTや発達障害や不登校の子だったりを絡めたのかということ。
パラリンピックはあくまで“身体”の障害がある人が出るスポーツなわけです。
どう足掻いても5体満足な人と同じ条件でスポーツができないから分けてるわけで。
ただそれだけのことだと思うんですよ。
なのにそれに「LGBTや発達障害や不登校の子」を一緒くたにして絡めてきた。
は?
盛大な「は?」ですよ。
やりたいことや意図はわかりますよ?
その意図に心底うんざりしますが。
つまりふんわりとした「社会的弱者っぽいもの」をかき集めたんですよね?
で、その考え自体が“差別”になってません?っていう。
パラリンピックは身体的に障害があるからそういう人たちでやるという話。
で、そこに体に障害のない関係のない「社会的弱者」な人たちを持ってくるのってその人たちを思いっきり日本は「弱者」として扱ってますよ!と声を大にして言ってるようなものですよね?
LGBTやそういう人たちが「弱者」であるのって社会の構造のせいです。
それがなければ彼らは「弱者」なんかじゃないわけで。
LGBTの人も普通に結婚できて後ろ指さされないで当たり前に過ごすことができたらそれは弱者でもなんでもなくてそれは発達障害や不登校の人も同じわけです。
そういう弱者っぽい人たちが弱者であるのは社会構造のせいで物理的にハンデを負ってる身体障害者の方と別物じゃないですか?って話です。
で、そういう「弱者っぽいもの」をパラリンピックに持ってきて「多様性をアピール」するのって逆効果なんじゃないかと。
本当に「多様性をアピール」するのならオリンピックの開会式でそういう人たちを普通に採用すれば?って話じゃないですか?
ていうかオリンピックに普通にLGBTの選手いっぱいいますし。
わざわざそういう人たちをパラリンピックの開会式に集めてこの人はLGBT、この人は発達障害でこの人は不登校の人でって解説するって意味わからなくないですか?
その行為って日本はそういう人たちは圧倒的弱者で普段は気にも止めてないのでこの機会にアピールします!ってことですよ?
そしてそういう人たちに「弱者」の烙印を押すことにもなる。
逆効果なわけです。
日本が障害者や社会的弱者っぽい属性の人をどうみてるかうんざりするくらいわかる演出でした…
その場で一緒に見てた人も「おかしくない?」って言っててだよねって思いましたし、私はモヤモヤが今も収まりません。
これを良しとした人たちの物事の解像度が粗すぎる。
自分には無関係な、弱者っぽい人たちという雑な括りで感動話みたいにしたかったんだろうなー。
それとそれは別っていうことに気がつかず、ふんわりとしたイメージで一緒くたにする。
それってそのことに興味がなく理解がないのと同じです。
そんなことを思ったななしーでした。