大体のことは個人の責任ではなく社会構造のせいなのだ

 

日本て同調圧力が強い上に失言をした人とかなんかちょっと躓いたその人をめっちゃ攻撃するじゃん?

それって本当の敵は何かわかってる?ってななしーは思うわけ。

 

どーも、ななしーです!

 

えー、世間ではあるひとの女性差別的な発言がやいのやいの言われてますけども、次に就任しそうになった人も全く同属な人でズコーッそれ意味ないやんけ!ってなったりしてたりについて思ったことを書きます。

まぁ昨日のニュースで後任に選ばれた人も辞退ということでホッと胸を撫で下ろしたんですが・・・

 

そもそもですね、彼が失言をした。やっつけろ!だけじゃ意識が足りないんですよ。

失言だからいけないのではなくて、現実に日本では女性差別がまだ根強く残っていて彼くらいのお年の方はそれが当然て思ってるわけです。

そういう彼個人を攻撃したりというよりその“社会構造”のせいでそうなっている現状を認めてそれが何故いけないのか?

どうしたら女性差別をなくせるのか?

という風に深掘りしていかなければ彼が辞任しただけで終わっては女性差別はなくならないし、意味がないと思うのです。

彼が辞任するのは妥当です。

当たり前です。

辞めなければいけないという事象によって女性差別は許されないことだ!ということの概念の確立になります。

だけれど必要以上に彼だけを個人攻撃するのは意味がなくて。

その根本は日本の社会構造であっていまだに根強く残る女性差別の空気なのです。

 

じゃあその空気を変える、女性差別をなくすのにはどうしたらいいか?

それはマスコミ、メディアや世間の人が女性差別をする人や物事にきちんとNOを言うこと。

また世間全体でその発言や考えを許さないことです。

つまり公的な人で公的な場でそういう発言をしたならばメディアがちゃんと批判したり、個人間であったなら指摘をしたりそういう女性差別は許されないことだという新たな社会構造を作っていかなければいけないのです。

社会構造のせいだといっても何かしらのアクション(辞任だったり批判だったり指摘だったり)を各々がしないとそういった新しい社会構造は構築できません。

社会構造のせいだから仕方がないと許してもいいというわけではないのです。

今の日本だと失言した人をただ批判して終わり。

社会構造のせいとは思わず個人の責任としてそれで終わるのでこれではほとんど何も変わりません。

実際に彼が辞任して次に辞任するのも同年代のほぼ同じ価値観の人にすげ変わっただけで結局何も変わらないところでしたよね。

健全な社会構造が構築されていれば批判を受け女性差別はいけないことだと理解し、その反省を生かして次に失言をした彼とは真逆の女性差別者じゃない人を採用するのが当然でしょう。

それが誠意だったり正しい循環というものです。

また似たような人間を就任させるということは批判を真摯に受け止める気がないことの現れです。

たまたま言ってしまった彼は運が悪かっただけでちっとも反省してませんし何が悪かったかもわかってませーんと堂々と宣言しているようなものです。

似たような人を就任させるなんておかしい!意味がない!と私が真っ当な感覚を持ってるなと思ってる人たちは一斉に言ってました。

そしてその声が届いたのかどうか会長就任を辞任する意向とのこと。

やはりこのように一人一人が意思を持ってダメな物事にはNOと言っていかなければいけないのだと思います。

 

辞任に追い込むのや批判はやりすぎだという意見もかなり見られますがそれは差別やジェンダー問題について興味や知識がない人たちの意見だと思います。

そういった知識がないのもまた、個人の責任ではなく日本の社会構造のせいでそういった知識が得られる機会が全くないせいです。

 

広い意味で言ってしまえば、個人のせいということはほとんどなく社会構造が原因で。

かといって批判や指摘をやめてはいけないのです。 

常に今よりもっと良い方向へ社会全体が向かうためにアップデートを怠ってはいけないのです。

より日本が成熟した社会へなるには歩みを止めてはいけません。

そのためには意見のぶつかり合いや摩擦が起きます。

日本ではそれを悪いことと捉える空気が大きいように思います。

でも痛みなくして今の社会の成長はないでしょう。

日本は今、いろんな過渡期なのだと思います。正念場というか。

一度、常に価値観をアップデートすることが当たり前だという考えが普通になる社会構造のフェーズに突入すれば安定した豊かな社会になるのだと思います。

 

どうか日本がより良い国になりますようにと思わずにいられないななしーなのでした。