日本のお笑いが苦手な話

私はエンタメが好き。

熱中する作品がある時とない時で差があるものの長年オタクもやってきた。

 

だけれど実は子供の頃から日本のエンタメが結構苦手だったりする。

日本のエンタメというか日本のお笑いの感じとか時代遅れな価値観とかそういう部分。

昔から不快に感じていた。

でも周りでは当たり前のようにテレビの話題。

テレビで流れているお笑いに疑問を持たずにマネする人々で溢れかえってた。

 

私は特に日本のお笑いが苦手で全部苦手とか嫌いというわけではないけれど、『ボケとツッコミが激しい』のとか見ていて辛くなってダメ。

というかどっちか一方が道化を演じてどっちか一方が責め立てるように時には頭を強く叩いてツッコむという構図がそもそも私には違和感があった。

イジメとニアリーイコールにしか感じない。

そして頭を激しく叩いたり身体的にも痛みを伴う行為を見させられて私は不快になるのにそれが“面白いこと”とされていることにずっと疑問があった。

 

そして女性芸人に対する“ブス”とか“ババア”とか“デブ”とかの罵詈雑言は聞くに堪えなくて…。

(男性芸人に対する容姿いじりも当然のようにありえないのですが男性芸人はモテたり売れるとどこかステータスになるのに対して女性芸人はそうではない部分なども含め社会的な男尊女卑を強く感じて不快感が強い)

 

私は日本のお笑いは基本的に知性を感じないし何が面白いのかわからないものが多い。

もちろん中には人を傷つけない笑いをやっている人もいる。

私もたまにこの人面白いなと思う人もいるけれど、その人のDVDを買ってその人だけ見るほど別に好きにはならないし、その人が出ている番組を見ようとしても他の芸人もたくさんいて結局苦手な部類のお笑い要素や発言も絶対的に目に入ってしまう。

だから結果として日本のお笑いは特に私に必要がない。

むしろ避けた方が精神健康上にいいものになっている。

 

そもそもお笑いに限らず日本の価値観は基本的に私の感覚で言うと“周回遅れすぎ”であり得ないことが多すぎるように感じていて。

断言するけど日本は先進国の中でも価値観が圧倒的に古く、そのせいで幸福度の低い国であると言える。

“お笑い”に限らずマスメディアの流している古臭い価値観は見ていると頭痛がしてくるほど。

もうテレビを何年も持っていない。見てない。そしてそれで問題がない。

というかその方がむしろ変な日本の価値観が身に付かず“まとも”でいられるくらい。

Netflix、Hulu、アマゾンプライム、また公式の見逃し配信で見たいエンタメはこと足りる。

 

少し話が逸れたけれど本筋(お笑いの部分)に戻ると、、、

 

『誰か1人に道化役を押し付けてみんなでバカにする構図ってそれ、本当に楽しい?』

 

『そういうコントとか、話とか見せられて本当に心から笑える?』

 

これを問いかけたい。

 

それを面白いと思ってる人や笑っている人ってただ単に「そこは笑うポイントだ」「お笑いってそういうもの」という刷り込みだけで笑っていない?

思考停止でただ長い間テレビで「これがお笑いですよ!面白いですよ!」と見せられていた方程式が脳みそに染み込んで反射神経で笑っているだけなのでは?

「ここは笑うところだよ!」という間違った価値観で無意識に反応しちゃってるだけでは?

 

 

それ、心の底から面白いって本当の本当に思う?

 

 

で、またちょっと話が逸れるんだけどその“日本のお笑い方程式”みたいなのを現実でも引きずっちゃってる人かなり多くてそれも指摘したい。

私被害にあったことあるんだけど、なんか私をイジられキャラ(道化)に無理やりキャラ設定してとにかく私が何言っても笑ってきたり突っ込もうとしたりしてくる人が過去にいた。

とっても不愉快だったし悲しかったし何にも面白くなかった。

私が相手の言動に困った顔や悲しい顔をしていてもその人は意にも介さないようで1人で突っ込んで1人で楽しそうに笑っていた。

その様子がこちらのパーソナル(人格)や気持ちを全く無視して無理やり私をイジろうとしてて私を人として見ていない感じで本当に怖かった。

何人かそういう人に遭遇したけれど、本当に本人は悪気がないようでそういうコミュニケーションの方法しか知らないのかもしれないと感じた。

そしてお笑いの方程式を当てはめればなんでも面白いと思い込んでるだろうなとも思った。

で、やられる方は何にも面白くないしむしろ不快だしで相手の自己満足でしかない。

誰かをイジり役にしてイジれば面白いはずっていう思考停止の浅はかな考えだし、ちゃんとしたテクニックも知性も何もない。

こちらは反応で明らかに嫌がってるのにそれをスルーしていて完全にコミュニケーションになってなかった。

ただひたすらに一方的。

さらに生きてるうちにアンテナ張って周囲を観察したり調べたりしてたけどイジられ役にされて気分が良い、楽しいって人はやっぱり全然いない。

みんな嫌々やらされていたり、嫌でも誰かが道化(イジられ役)をやらなきゃいけないから文句言いにくい…とかそんなのばかり。

気が弱い人とか強く言えない人が渋々その役をやってる。

嬉々としてイジられ役をやってるように見える人もいるかもしれないけれど、そういう人は心にどうしようもない闇を抱えていて自分に自信がないから道化になることで必死に人に好かれようとしてるだけだったりとにかく健全ではない。

 

イジられ役はみんな確実に傷ついてる。

 

そりゃそうだよっていう。

いくら「そういうもの」「それがお笑い」って頭の中でわかっててもキツイこと言われたり馬鹿にさたりとにかく否定されまくる発言でまったく傷つかない人なんていない。

実際の芸人さんとかはそれを仕事として腹くくってお金を稼いでるから「別に傷ついてない・イジられるのはおいしいこと」という自己暗示が強いだけ。

お金をもらうことだから我慢できてるというだけ。

本人がそれに納得してるなら別にいいと思うけど、心のどこかでは絶対ちょっとずつでも傷ついてると思うなぁ。

ましてや一般人がイジりを我慢する必要なんてマジでない。

観客もいるわけじゃないしお金もらえるわけじゃないし。

そもそもイジりは正しいコミュニケーションじゃない。

自分が道化を引き受けないと仲良くなれないような人と仲良くする必要もマジでない。

自分がすり減るだけ。

 

 

で、なんで日本人がこの誰か傷つく人がいないと成り立たないお笑いに汚染されてなかなか脱却できないかっていうと「他にどうやったら面白くなるかわからないから」でしかないんだよね、きっと。

 

私は10代の時から海外エンタメも好きで結構見てるんだけど(主にアメリカのエンタメ)、全然人を傷つけないで面白いコメディ作品山ほどある。

鎖国してるわけでもあるまいし、なんでそういう作品を見れる環境にあるのにいつまで経っても自分たちに応用できないの?って思う。

ビックバンセオリーとか超好きだし超笑えるけど、誰がイジられ役で誰がツッコミじゃなくてみんな時にはイジられ側だし時にはイジる側だったり関係が果てしなく『対等』。

関係性の不均等さとかマジでない。

根底にお互いのリスペクトとか愛があった上でお互いを時にバカにしたりされたりしてるのがわかる。

それが正しい人と人との人間関係だよ。

 

 

日本の笑いの悪い部分は関係性が『対等じゃない』部分。

日本のイジリとかツッコミは一方的で相手を人扱いしてないことに近いと思う。

 

お笑い以外にも日本は現実の人対人でもすぐ不均等な上下関係を作りたがるなぁって感じる。

 

どっちかが偉くて決定権があってどっちかが言うこと聞くみたいな。

会社の上司部下や同僚同士、友人同士、家族、年上と年下であっても本当に上下関係ありすぎる。

喰うか喰われるかじゃないけどどっちかのポジショニングで成り立ってる関係性をよく見かける。

 

正直それってとっても不健全だし正しくない。

 

人と人はどんな関係性であれ基本は対等であるべき。

どっちかが絶対的な上でどっちか一方は心に思ってることも言えずにただ我慢しなきゃいけない関係なんておかしいんだよ。

原因は歴史的に儒教の国だからだけれど、昔はそうでなければ成り立たなかったのかもしれないけど今は現代。

昔がどうであれそれが今現在の社会によくない影響を及ぼしてるのなんて見るに明らか。

 

 

もう良い加減そういうの、やめにしません?

 

そういうの、平成に置いていきません?

 

 

 

これを書こうと思ったのもまぁちょっと個人的にショッキングな出来事があって…。

約1年前にとある舞台を見に行ったの。

私が信頼してるところのオリジナルコメディだった。

そしたらね、私が苦手なお笑い要素が入ってて全然楽しめなかったんだよね。

とある人物がひたすらみんなに無視されたり真剣に話を取り合ってもらえなかったりする理不尽なイジり描写があってそれで笑いを取ろうとしてて胸糞悪くなった。

1人を道化にして笑いを取ろうとしてた…。

それだけじゃなくて話自体も主張と論理の筋が通ってなかったりツッコミどころ満載でまぁシンプルに話もあまり面白くなかったんだけど…。

そこのコメディは自分は好きで合うのだろうと思っていたからかなりショックだった。

そこのオリジナルコメディを見るのは2作品目で1作品目はかなり楽しめたんだけど、心底楽しめなかった記憶があってよくよく思い返してみると何年か前に見たそのオリジナルコメディもそういう私が苦手な笑いの要素が入っていたから“まあまあ”面白かったけど“めっちゃ”面白かったわけではなかったのかぁと合点がいった。

それからそこのオリジナルコメディはもう見に行かないと決めた。

脚本家が違えばまた違うかもしれないけれど、決定権がある人がそこんとこわかってないということはもう安心してそこの作品見られないので。

その制作会社の決定権のある人も「日本のお笑いの価値観」に染まりきっているんだなってことがわかったから。

 

 

あとその舞台に限らず全般的に俳優同士のフリートークとか稽古ブログとか読んでいても不必要なほどの上下関係だったり(先輩俳優がやたら偉ぶっていて後輩にフラットに接していなくて後輩が萎縮していたり道化をやらされたり)誰かにイジられキャラ認定してみんなでその人をイジるまくるみたいなトークや関係性が垣間見えて『うへぇ…』と感じることは多かった。

そういうものを目にしないようにしたりして純粋に作品だけを楽しめるように工夫してきましたがやっぱり限界がきまして、舞台自体の興味がほぼ消え去りました。

(舞台に限らず日本のエンタメを見ることがぐっと少なくなった。まともな価値観の作品が少なすぎて)

 

ただ日本のその古い価値観に染まっていること自体は別にしょうがないと思います。

日本に生まれて日本のテレビを見て生きてれば基本そうなると思います。

別にその価値観になってしまうことは本人の落ち度でも非もない。

ただ私はその価値観が無理だし見たくない、だから行かない(見ない)ことに決めた。それだけ。

そして問いかけたかった。

もし運良く誰かの目に入ったのなら、ちょっと考えるきっかけになればという希望を少しだけ込めて。

 

 

ちなみにこんな価値観なもので日本のお笑いが好きでその方程式を面白いと思ってる人には私は“ノって来ないつまらない人”と思われます。

かなりの人につまらないやつと思われますが私からしたら相手の方がつまらないです。

私が面白いと感じるのは知性的でウィットに富んだ会話。

外国人には「君は面白い!」と良く言われます。

ある外国人とは会話の相性がとにかく良くて相手の上手い切り返しや言葉に私も「面白い!」と感じまくり笑顔が絶えない関係でした。

相手も私の切り返しにいつも笑っていました。

その人はかなり年上でバリバリ働いてるすごい人だったけど偉ぶったりもしないでフラットに接する人で一緒にいて本当に楽で楽しい人でした。

日本人でそういう会話ができる人はあまりいませんがそこまで求めずともフラットな関係性で楽しくやることは全然できます。

 

今仲が良いのはそういうコミュニケーションで人を傷つけない、最低限の思いやりがあって自分の頭でモノをきちんと考えられる人たちです。

 

 

フラットで対等な関係性で誰かが悲しんだり傷つくことなく笑い合うことは絶対にできます。

 

 

ただ日本では受動的に生きていたらその手本が目に入らないからそういう知識が自然と身に付かない。

でも今はインターネットでいくらでも外国の作品だったり情報が手に入ります。

 

別に日本がダメで無条件に海外最高ー!全部海外の真似しよう!というわけではないんです。

日本は先進国の中で幸福度がかなり低いことやジェンダーギャップ指数の順位が低いのは事実だし、やっぱり周り見ても幸せそうな人全然いないしみんな生き苦しそうなのは実感としてすごくある。

で、それが何でかってことを考えてったら大体昔からの悪しき習慣や価値観が残ってるせいなんだよね。

色んな国の文化や価値観を知ることが好きで常に情報を取得してきたからすごく違いがわかるし、だから日本は息苦しいんだなっていう原因も色々とても思い当たる。

冷静に論理的に考えたらもっとこうしたほうがみんな幸せになるじゃないっていうやり方を導き出すことはそんなに難しくないはず。

なのにみんな思考停止してなんとなくの昔から続くこの考えややり方が正しいだろうっていう空気に日本はただ流されているのが現状です。

 

他の国を見て良い部分を取り入れても損することって全然ないと思いませんか?

政策とかだったら色々調整が難しかったり資金が必要で簡単じゃありませんが、1人1人が意識を変えるだけで精神的により良い環境になるんですよ?

(熱く語ってしまいましたが私はそういうより良い未来、より良い自分になるためのことを考えたりすることが大好き)

 

 

ということで今の自分に慢心せず、常に価値観のアップデートは能動的に欠かさずやっていきたいものです。

それでは、自戒を込めて。

 

Yoonより